繭 玉 抄

    林田麻裕

 

 

この心何で形にしようかなとりあえず出汁でも取ろうかな

 

透明な翼を君は持っているだって暖かすぎる抱擁

 

母さんがスープをすする音響くドラマの主人公泣いている

 

もっともっと素敵になろうもっともっと素敵な人とキスをするため

 

親友の理解者でいれているかな絵手紙書いて絵手紙届く

繋がる五七五⑲

      おーたえつこ   消しゴム版画 辻 水音

  明治時代以降、連句は廃れていくのですが、それは、連句の「発句」を「俳句」と名付け、

 独立した芸術にしようとして、連句を重視しなかった正岡子規のせいだと言われています。

  でも、子規ほど仲間と一緒に何かすることが好きな人が、連句みたいな面白い遊びをしな

 かったはずはないと思います。

  残っていましたよ。子規全集 別巻三に。指で数えられるほどしかないですけどね。もっ

 とたくさんやっただろうなとは思うけど、あとに残す気はあまりなかったのか。

 

 

   明治二十五年夏 松山にて

   半歌仙

   子規 虚子 青桐(碧梧桐)

 

  藻の花をよけて棹さす涼み舟 虚子

  (発句藻の花の題なれば涼み舟は二題になるべし。棹さす涼み舟→行けり寮の舟)

   折々鯉のはねる夏川 子規

  旅人は馬にのりたき風情にて 虚子

  (第三までのわたりよろし)

 

       中略

  店先のぼた餅ふとき夕月夜 子規

   すすきの疵にりきむ相撲取 虚子(相撲取→小相撲)

  朝顔はさすがに斬りて(折りて)捨てられず 青桐

  (朝と夕の越御心付)

   また初恋の早ききぬぎぬ 子規

  押せばあく柴の折戸も心して 青桐

   太閤さまの居眠りをする 虚子

 

       後略


 括弧の中は子規の意見。子規は式目などの勉強もしていたようです。けっこう生真面目に、

打越しや付き過ぎを指摘したり。

  虚子も連句のイメージはまったくないですが、よく子規に付き合っていたようです。

 

 

   明治三十年

   子規 虚子

 

  萩吹くや崩れ初めたる雲の峯 子規

   かげたる月の出づる川上 虚子

  うそ寒み里はとざさぬ家もなし 子規

   駕籠かき二人銭かりに来る 虚子

       中略

   坐つて見れば細長き膝 虚子

  六十の祝いにあたる花盛り 子規

   暖かき日を灸据ゑに来る 虚子

  まじなひに目ぽの落ちたる春の暮 虚子

   地蟲のあなへ燈心をさす 子規

  しろかねの猫うちくれて去りにけり 虚子

       中略

 

 

  目ぽっていうのはめばちこのことみたい。おまじないでめばちこがとれるの?!とか、虫

 の穴に燈心をさすって何やってんだ?とか、銀色の猫なんか置いて帰っちゃったの誰?と

 か、なんだかおかしな句が並んでますね。きっと笑いながらやってるんだろうな。猫持って

 きたのが漱石だったら面白いなあ。()

   使ひの男路で行き逢ふ 子規

  亡き骸は玉のごとくに美しき 虚子

   ひっそりとして御簾の透き影 子規

  桐壺の月梨壺の月の秋 虚子

 

       後略


  子規も虚子も恋の句苦手だったのかな。源氏物語的な世界を利用してる気がする。昔なが

 らの手法だけど。俳句を革新したふたり、連句はなんとなく古風だな。

季湖ワールド  お節料理

    写真 季湖

 

一日の朝、夫が自治会、菩提寺、氏神様へ年頭の挨拶に回っている間に紅白なますを作るのは毎年のこと。

いただき物の吊るし柿があったので今年は二種類つくりました。
お節は職場で購入(^^;、これも毎年のこと。
味玉は長女、きんとんは次女担当。これもまた毎年のこと。

たくさんのご馳走を前に、母は興奮していました。笑顔はないけれど嬉しそうに見えました。

翌二日。
隣町に住む息子家族がやってきて母の部屋にみんなが集まりお年玉をもらいました。
私は張り切って手鞠寿司をたくさん作り賑やかな時間を過ごしました。

これが家族そろって祝う最後のお正月となりました。
13
日、母は自宅にて家族が見守る中安らかに旅立ちました。

季湖さんのお節料理や手毬寿司は見事だ。

季湖さんが近くにいたら頼むのにと思ってしまった。

 

下の写真は季湖さんの思い出と思いです。

お母さまのご冥福をお祈りいたします。