繭 玉 抄

ラジオからあなたの声が聞こえると心ゆったり座り直すの

 

嫌いとか好きとかとっくに超えている君は心に収まらない人

 

繊細も悪くないって思いたい色々な色の花を生けよう

 

苦労ってとことん続くものなのね耐えるためマーマレードを塗る

 

 何もかも許してくれる君のこと布になりきり包みたいなあ

 

               林田麻裕

繋がる五七五⑫

      おーたえつこ   消しゴム版画 辻 水音

そろそろ大御所芭蕉の連句(当時は連句とは呼ばないのですよね。俳諧の連歌ですが。)を

読みたいなと思って、岩波文庫の「芭蕉連句集」というのを買ってきました。

 

 でも、解説が少ないので、何か教えてくれそうな本はないかと探しているところです。むかし

芭蕉の発句を読んでいるときに何か芭蕉の付け合いについて書いたものを見た記憶がある

のですが、思い出せない。図書館にいかなきゃなあ。

  と、本屋さんをうろうろしていたところ、「芭蕉のあそび」(深沢眞二著 岩波新書)というのを

見つけました。

      深沢先生は和光大学で連句の実作の授業をされていて、ある一年間の授業が「連句の教

    室―ことばを付けてあそぶ」(平凡社新書)にまとめられています。「連句の教室」は瓔連句部

    での私の大事なガイドブックです。この本、先生の授業がわかりやすくて、若い人たちの繋ぐ

    連句も楽しいのでお勧めです。

      「芭蕉のあそび」は芭蕉連句について書いてある本ではありませんでしたが、序章に芭蕉さ

     んが俳諧を始めるまでに生まれた、松永貞徳率いる「貞門」と、続いて西山宗因の「談林」と

     いうグループのことが書かれています。そういえば、これも学校で習ったような気がしますね。


 霞の衣すそはぬれけり

  (春がすみはよく衣にたとえられますが、その衣の裾が濡れているよ)

  佐保姫の春立ちながらしとをして

  (立春に、春の女神の佐保姫が立ちションしたんだ)

 

 これは、犬筑波集にある付け合いです。それについて、貞徳は、自分ならこの前句に対して

こう付けると例をあげたそうです。

 

   霞の衣すそはぬれけり

  天人やあまくだるらし春の海

  (天に住む人、天女が海に降りたのだろうね)

 

または、

 

   霞の衣すそはぬれけり

  大ぶくを座敷うちへやこぼすらし

  (新春を祝う縁起物の大ぶく茶を座敷にこぼしたんだろう)

 

もう一案、

 

   霞の衣すそはぬれけり

  春立てふむ雪汁やあがるらん

  (立春に残雪を踏んだら雪の解けて水になっていて跳ね上がったらしい)

 

 おとなしいですよね。貞門は、「犬筑波集」なんかは下品だと指摘していた荒木田守武のあ

とを継いでいるそうです。でも私は元のが好きだなあ。()

 一方談林の西山宗因、本職は連歌師で、俳諧のほうは遊び。ナンセンスな洒落た言葉遊び

が好み。

 

 

 きいたかきいたかよゝのむつ言

  (聞いたかい、毎夜の恋の語らい)

  丸薬の衣かたしくだいてねて

  (聞いた→効いた 丸薬が効いた。丸薬の包み紙敷いて男女抱き合って)

 

 「夜々の睦言」も「衣かたしく」も伝統的な和歌に使われる言葉です。和歌の言葉で遊ぶんです。

 

  月も知れ源氏のながれの女なり

  (お月様もご存じです。私は源氏、武士の女です)

   青暖簾(あおのうれん)のきりつぼのうち

  (源氏→源氏物語 ながれの女→遊女 青暖簾は遊郭の入り口に下げる。桐壺は源氏名?)

 

 


こちらは、「桐壺更衣を遊女にするとは」と、貞門から非難をあびたそうです。

 こんな紆余曲折のなかから、芭蕉は生まれたのです。

 江戸時代になって、印刷技術が普及して、庶民でも本を読める時代がやってきた。昔の和

歌も「源氏物語」もある程度みんなで共有できるようになって、そうすると、たとえば、芭蕉の

須磨明石での発句、

 

  たこつぼやはかなき夢を夏の月

 

 

という句に、たこは源氏物語の明石の入道(きっと、たこ坊主)!などと気づけたりする。座に

集うメンバーが知っていることを共有できると、楽しみも共有できますね。

 季湖とメタセコイア並木

 

  12月1日  季湖さんから

    急に寒くなりました。

    今朝比良山系は初冠雪。いよいよ本格的な冬の到来です。

    あっという間に年末になってしまうんやろな~~   とLINEがきた。

 

  そして高島市マキノのメタセコイア並木の写真が送ってきた。

  動画を載せられないのが残念。